10年積み上げたキャリアを捨てるのは辛かった

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10年続けたメカ設計者としてのキャリアを捨て、現在は無職。待遇は悪くなかったし、会社も将来も明るかった。だけど、捨てた。その理由を話します。

今の会社を辞めたいけど、辞められなくてズルズルしてる人に向けて書きます。

そのキャリア、本当に必要ですか?

より良い人生を描くために必要なものですか?

キャリアを順調に積み上げられる人は成功者

会社の経営者、本の著者など公開されているプロフィールを見ると、キャリアが書かれている。ほとんどの場合、実績がズラーっと並んでいる。これは成功者。

仕事は実績を基に評価される。

だから実績を積むと、1段上のステップに進める。そしてさらに高度な実績を積むことができ、キャリアが華やかになっていく。サラリーマンの場合は、仕事の実績以外に、同僚、上司、取引先からの信頼を含む。こういった関係者から信頼される人は出世できるだろう。

仕事を辞めるということは、積み上げてきたキャリアを捨てるということ。

キャリアが華やかなほど、捨てるのに躊躇するだろう。

僕は10年積み上げてきた。キャリアの華やかさでいえば、同期と比べて中の下だが、悪いものではなかったし、出世はできたはず。少なくとも課長まではいけたと思う。

それでもキャリアを降りた理由

歳は30と少し。定年までは30年弱ある。長すぎてゲンナリ。

正直に言うと、続けたくないと思っていた。10年も仕事をすれば、仕事の内容はもちろん、自分の将来像まで見えてくる。その上でゲンナリするということは、たぶん、僕はこの仕事に向いていない。イヤイヤ仕事していい結果にはならない。さらには、60歳までの人生が暗いものになる予感もした。

そこで、違うキャリアを進むと仮定してみる。

あと30年もある。今から別のキャリアを積むとしても、十分に長い。全然遅くない。

僕自身の問題はクリアできたが、家族の問題はあった。

キャリアを捨てると家族に負担をかける。

妻・子2人がいる。僕が仕事を辞めると、当然家族にも負担をかける。でも、家族のために自分を犠牲にするのは良くないと思った。

「お前たちのためにお父さんは人生を犠牲にしているんだぞ!」なんて言いたくない。

子どもの立場からしても「自分のせいでお父さんが犠牲になっている」なんて考えたくないはずだ。

だから、僕が自分のキャリアを大事にし、人生を豊かにすることは家族のためでもあった。

何がしたいか?何ができるか?

これは僕にとって大問題だった。

どんなキャリアを積みたいかが全く分からなかった。仕事しながらずっと考えてきたけど、答えが出なかった。多分、考えているだけでは答えが出ないんだと思う。実際にやってみないと。

仕事しながら別のことをするのは無理。

僕の性格上、手持ちのリソースを1つのことに注ぎたい。だから、いったん仕事を辞めてみて、思いつくことを試していくことにした。つまり、キャリアにブランクを作ることになる。これは会社員としては致命的なデメリットだが、受け入れることにした。より良いキャリアを積むために。

ブランクは十分に短い。

60歳まで30年、定年がなければもっと長い。そんな中、例えば2年くらいブランクを作ったところで、大きな問題にはならないだろう。大丈夫だ。

以上が、僕がキャリアを捨てた理由。

会社はキャリア転向を勧めている

現在の日本の雇用制度では、正社員として雇われると、基本的に終身雇用になる。

しかし、これは経営者から歓迎されていない。

相次ぐ経営者の終身雇用ムリ宣言、某社長の45年定年発言、相次ぐ45歳以上を狙い撃ちした早期退職はその証拠。会社人事はピラミッド型なのだから当然。年齢とともに上の役職に行くのを基本としているので、年齢が上がっても役職に就けない社員は必要とされない。

会社は、不要な社員がいても簡単に解雇できない。そこで、キャリア転向という名目で追い出そうとしている。

「君には他に向いている仕事があるんじゃないか?」

という嫌らしい言葉で追い込むということだ。恐ろしい。

労働者にとって恐ろしいだが、これは仕方のないこと。会社や、雇用制度が悪い、ということではない。単に会社自体にそういう性質があるということ。それなのに、終身雇用を続けることは、会社に過度な負担を強いているし、この歪みは解消される方向に進んでいる。

その結果、転職者は増加し、雇用は流動化する。そして、 アメリカ人のように会社を転々としながらキャリアを積むようになるはず。

この状況が僕を後押しした。

僕はマイノリティーではない。ただ時代を先取りしているだけだ、と思うようになった。